第一節 はじめに
言語変化はあらゆる面で起こる。日本語では、「複文」という名称で分類される文法カテゴリーがあるが、本研究では構文論の立場から「複文構文」と呼ぶ。複文構文とは、単一の述語を取る単文構文とは違って、複数の述語を取る構文タイプを指す[1]。複文構文は形態、意味、または構造的関係などによって様々なタイプに分けられる。複文構文変化とは、ある種の複文構文タイプから他の複文構文タイプへ移行する現象のことである。
日本語における複文構文変化の例として、次のようなものがある。
(1)a.「あたしについて来たら、三つの羊歯の花が咲くところを教 えてあげるわよ!」若者は女のあとについて行きたかった。
(『花空庭園』)
b. ゴールト少年は、もし大人だったら五十ドル以下の罰金ですむところを、子供だという理由で長期六年の少年院収容になった。
(『感化院の記憶』)
(2)a.太郎は音楽を聴きながら本を読む。
b.太郎は知っていながら教えてくれない。
c.ありとあらゆる機密、会議につぐ会議、あらんかぎりのハードとソフトウェア、必要経費、暗号、光学繊維、指紋、ビデオが備わっていながら、へまをやってしまったのだ。
(『謀略の機影』)
例(1)では、同じく「ところを」という形式が現れているが、両者の意味機能と構文機能が明らかに異なる。(1)aの「ところを」は場所という実質的意味を表し、「教える」という主節述語の目的語として振舞う。それに対して、(1)bの「ところを」は実質的意味を持たず、逆接の意味を表すが、構文的にも「なる」という主節述語と格関係を結んでいるとは思えない。例(2)では、同じく「ながら」が現れているが、両者の性質が異なる。(2)aと(2)bでは従属節と主節の動作主はいずれも「太郎は」であるが、前者は「ながら」の前件と後件の動作が同時に行われることを表すのに対して、後者は前件と後件との間に逆接的意味が読み取れる。また、(2)cは(2)bと同じように逆接的意味を帯びるが、「ながら」の前件と後件が同じ動作主でない点では、(2)bと異なる。このように、例(1)aと(1)b、また例(2)a、(2)bと(2)cが形式的に同じように見えながらも構文的に異なる複文構文をなしていることが見て取れる。このような異なる複文構文間の移行関係を探るのが複文構文変化の研究課題である。
勿論複文構文は日本語に限られるわけではなく、汎言語的に存在している。そのため、複文構文変化も日本語だけではなく、英語や中国語など汎言語的に観察できる[2]。例えば、
(3)a.Men differ from animals in that they can think and speak.
b.This conclusion is wrong in that it is based on false premises.
(4)a.While we were talking,the teacher came in.
b.He is strong while his brother is weak.
例(3)aのin thatが前置詞inと「関係節」[3]を導く先行詞thatからなっているので、that節は名詞的役割を果たしているが、例(3)bのin thatは前置詞と先行詞の組み合わせではなく、原因を表す副詞的な役割を果たしている。また、(4)では、while が導く節はいずれも副詞的な役割を果たすが、(4)aのwhileは時間的意味を表すのに対して、(4)bのwhileは逆接の意味を表す。
日本語と英語では連体節を含む文はいずれも複文とされている。それと対照的に、中国語研究では、連体節を含む文を複文とは認められず、単文とされている[4]。中国語の複文[5]は「二つ或いはそれ以上の意味上深いつながりをもち、かつお互いに他のいずれの文成分ともならない分句(「節」と考えてよい)よりなるものである」とされる(相原茂1982)。例えば、(5)のようなものである。
(5)a.刮了一夜的北风,下了一夜的雪。
(一晩中北風が吹き、一晩中雪が降っていた。)
b.因为刮了一夜的北风,早上起来地上都是落叶。
(一晩中北風が吹いたので、朝起きたら地面が落ち葉だらけ だった。)
中国語の複文は「連合複文」と「偏正複文」に大別される[6]。(5)aは分句(「節」)が対等の資格で並んでいるので、「連合複文」であるが、(5)bは分句(節)が従属関係にあるので、「偏正複文」である。
このように、(3)、(4)、(5)では、aとbは同じタイプの複文構文ではない。このような異なる複文構文間の移行関係に目を向ければ複文構文変化ということになる。
上記で見てきたように、複文構文変化は汎言語的に見られる一般現象である。日本語の複文構文変化は様々な形式で起こっているので、英語や中国語と比べてより顕著に見られる。そのため、日本語の複文構文変化を研究することで大きな示唆が得られるように思われる。
そこで、日本語の複文構文変化にどんなものがあるのかということが問題になる。それを把握するために、まず複文構文の分類を見ておく必要がある。益岡隆志(2013:90)は日本語の複文構文を連体複文構文(adnominal complex constructions)と連用複文構文(adverbial complex constructions)に大別しているが、連体複文構文とは、名詞を主要部とする従属節が主節と関係を結ぶことで成立するような複文構文のことで、連用複文構文とは、先行する従属節が接続形式を介して後続する主節に関係づけられる複文構文のことであると規定している。この分類によれば、(1)aは連体複文構文で(1)bは連用複文構文であるので、(1)aから(1)bへの移行は即ち連体複文構文から連用複文構文への複文構文変化である。それに対して、(2)はいずれも連用複文構文であるため、(2)aから(2)cへの移行は即ち連用複文構文内部での変化である。英語の例に関しては、(3)aから(3)bへは連体複文構文から連用複文構文への変化で、(4)aから(4)bへは連用複文構文内部の変化である。また、中国語では連体複文構文を認めないので、(5)のような連用複文構文内部の変化が見られる。
このように、複文構文を連体複文構文と連用複文構文に類別することによって、複文構文変化は、連体複文構文内部や連用複文構文内部の変化である場合もあれば、連体複文構文と連用複文構文との間の変化である場合もある。連体複文構文や連用複文構文内部の特徴や繋がりに関しては、従来多くの研究成果が収められ、研究がかなり進んでいるが、連体複文構文から連用複文構文への変化については、個別的な研究に頼りがちな傾向にあり、研究の現状から見れば決して十分とは言えない[7]。よって、本研究では、連体複文構文から連用複文構文への構文変化に目を向けたい。
連体複文構文から連用複文構文への変化を捉えるために、連体複文構文と連用複文構文の構成を明らかにしなければならない。前述したように、連体複文構文は名詞を主要部とする従属節が主節と関係を結ぶことで成立する複文構文で、連用複文構文は先行する従属節が接続形式を介して後続する主節に関係づけられる複文構文である。このような規定から、連体複文構文では名詞が中心で、連用複文構文では接続形式が中心になっていることが分かる。
連体複文構文内部に着目すれば、名詞と先行する修飾部との構文的関係·意味的関係がよく問題とされるので[8]、確かに名詞が中心になっていると言えよう。しかし、連用複文構文では、従属節と主節との関係が重要であるので、連体複文構文から連用複文構文への移行を考える場合、連体複文構文における名詞と主節(特に主節述語)との関係も考えなければならない。日本語では、名詞と主節述語との関係を標示するのは格助詞(case marker)[9]である。連体複文構文では、格助詞は従属節と主節述語を結びつける役割を果たす。連体複文構文では、名詞が修飾部と関連づけられる一方、格助詞が主節述語と関係づけられる。故に、連体複文構文から連用複文構文への変化を考察するために、連体複文構文における名詞と格助詞を同時に視野に入れる必要がある。名詞と格助詞から組み合わされるのは「格成分」と呼ばれる文法カテゴリーである。つまり、連用複文構文との関連を考えれば、連体複文構文では、名詞ではなく、格成分が中心になっていると言ってよかろう。このように、連体複文構文から連用複文構文への複文構文変化という課題のあり方から、研究の中心は格成分でなされる連体複文構文からどのように接続形式でなされる連用複文構文へ変化するのかに置かれることになる。本研究では、格成分を中心とする連体複文構文から接続形式を中心とする連用複文構文への変化を「格成分を中心とする複文構文変化」と呼ぶ。
格成分を中心とする複文構文変化を明らかにすることで、日本語における連体から連用への複文構文変化の様相も大分はっきりしてくるのではないかと思われる[10]。よって、本研究は連体から連用への複文構文変化に関する研究の最も重要な一環として、格成分を中心とする複文構文変化を総合的、体系的に捉えたい。