李顿调查团档案文献集(套装共19册)
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緒論

一九三一年九月二十一日の支那の正式出诉

一九三一年九月二十一日在「ジュネーヴ」支那政府代表は聯盟事務総長に書翰を送り九月十八日より十九日に至る夜中奉天に於て发生せる事件より起れる日支間の紛争に关し理事会の注意を喚起せんことを求め且規约第十一条に基き「国際の平和を危殆ならしむる事態の此の上の進展を阻止する爲即時手段を執らんこと」を理事会に诉へたり。

九月三十日理事会は左の决议を可决せり

「理事会は

一、理事会议長が日支两国に致せる緊急通告に对する右两国の回答及概通告に従ひ爲されたる措置を了承す。

二、日本が满州に於て何等领土的目的を有せざる旨の日本政府の声明の重要なるを认む。

三、日本政府は其臣民の生命の安全及其財産の保护が有効に確保せらるるに従ひ日本軍队を铁道附属地內に引かしむる爲既に開始せられたる軍队の撤退を出来得る限り速に行すべく最短期間內に右の意向を实現せんことを希望する旨の日本代表の声明を了承す。

四、支那政府は日本軍队撤退の行并支那地方官憲及警察力恢復の成就に従ひ铁道附属地外に於ける日本臣民の安全及其財産の保护の責任を負ふべき旨の支那代表の声明を了承す。

五、两国政府が两国間の平和及良好なる了解を攪乱する虞ある一切の行爲を避けんことを欲すを信じ、两国政府は各自に事件を扩大し又は事態を悪化せざる爲の必要なる一切に措置を執るべしとの保障を日支两国代表より与へられたる事实を了承す。

六、两当事国に对する其間の通常关係の恢復を促進し且之が爲前记约定の履行を行且速に终了する爲两国が一切の手段を盡すべきことを求む。

七、两当事国に对し事態の進展に关する完全なる情報を屡々理事会に送らんことを求む。

八、緊急会合を余儀なくするが如き未知の事件发生せざる限り十月十四日(水曜日)同期日に於ける事態審查の爲更に寿府に会合す。

九、理事会议長が其同僚特に两当事国代表の意見を求めたる後事態の進展に关し当事国又は他の理事会員より得たる情報に依り前记理事会招集の必要なきに至れりと决定する場合は右招集を取消すことを议長に许可す。」

右决议採択の讨议中支那代表は「日本の軍队及警官の迅速且完全なる撤退并に完全なる現状恢復を確保する爲に理事会の计画すべき最良の方法は中立の委員会を满州に派遣することなり」との支那政府の見解を表明せり。

十月十三日乃至二十四日の理事会

理事会は紛争を考究する爲更に十月十三日より二十四日会议を開催したるが日本代表の反对の结果该会议に於て提案せられたる决议に对し全会一致を得ること能はざりき。

十一月十六日乃至十二月十日の巴里に於ける理事会

理事会は再び十一月十六日「パリ」に会合し约四週間熱心に事態を研究せり。十一月二十一日日本代表は九月三十日の决议が其の精神に於て且条章に於て遵守せらるべきことを日本政府は念じ居るものなることを述べたことを述べたる後一の调查委員会を現地に送らんことを提案せり。右提案は次いで他の一切の理事会員の欢迎する所と爲り、一九三一年十二月十日左の决议を全会一致を以て採択せられたり。

十二月十日の决议

「理事会は

一、两当事国が严肃に遵守する旨宣言し居れる一九三一年九月三十日理事会全会一致可决の决议を再び確认す依て理事会は右决议の定むる条件により日本軍の铁道附属地內撤収が成るべく速に实行せられんが爲日支两国政府に对し右决议实施を確保するに必要なる一切の手段を讲ぜんことを要请す。

二、十月二十四日の理事会以来事態更に重大化したるに鑑み理事会は两当事国が此の上战闘又は生命の喪失を惹起することあるべき一切の主動的行爲を差控ふべきを约することを了承す。

三、两当事国に对し情勢の進展に付引き理事会に通報せんことを求む。

四、其他の理事国に对し其关係地域に在る代表者より得たる情報を理事会に提供せんことを求む。

五、上记诸措置の实行とは关係なく

本件の特殊なる事情に顾み日支两国政府に依る两国間紛争問題の终局的且根本的解决に寄与せんことを希望し。

国際关係に影响を及ぼし日支两国間の平和又は平和の基礎たる良好なる了解を攪乱せむとする虞ある一切の事情に关し实地に就き调查を遂げ理事会に報告せんが爲め五名より成る委員会を任命するに决す。

日支两国政府は委員会を助くる爲め各一名の参与委員を指名するの权利を有し两国政府は委員会が其必要とすべき一切の情報を实地に就き入手せんがの爲各般の便宜を委員会に供与す。

两当事国が何等かの交涉を開始する場合には右交涉は本委員会所定任務の範围內に属せざるべく又何れかの当事国の軍事的施措に苟も干涉することは本委員会の权限に属せざるものと了解す。

本委員会の任命及審议は日本軍铁道附属地外撤収に关し九月三十日の决议に於て日本政府の与へたる约束に何等影响を及ぼすものに非ず。

六、現在より一九三二年一月二十五日に開かるべき次回通常理事会期の間に於て本件は依然理事会に係属するものにして议長に於て本件经过を注意し必要あらば新に会合を召集せんことを求む。」

议長の宣言

决议を採用するに当り议長「ブリアン」氏は左の宣言を爲せり。

「兹に提出せられたる决议は异れる二方針に則りて措置すべきことを規定す即ち(一)平和に对する直接の脅威を终熄せしむること(二)二国間に存する紛争の原因の终局的解决を容易ならしむることなり。日支两国の关係を攪乱するが如き事情の调查は夫れ自体望ましきことなるが、今回の会期中右调查が两当国間に对し受诺し得べきものものなることを发見したるは理事会の欣快とする所なり。依て理事会は十一月二十一日理事会に提出せられたる委員会设置案を欢迎せり。决议の末項は右委員会の任命及職能を規定す余は兹に决议に付項を逐ひて说明を加へんとす。

第一項—本項は九月三十日理事会が全会一致を以て採択せる决议を再ひ確认し、同决议中に记されたる条件の下に日本軍を成べく速に铁道附属地內に撤退することを特に強调するものなり。理事会は此の决议を最も重要視し且两国政府が其の九月三十日に爲したる约束の完全なる履行に努むべきことを確信す。

第二項—前回の理事会以来事態大に悪化し且当然の憂慮を抱かしむるに至りたる诸種の事件の发生したるは不幸なる事实なり。此の上战闘を惹起することあるべき一切の主動的及事態を悪化せしむる虞ある他の一切行動を差控ふること最も緊要なり。

第四項—本項に於て当事国外の理事国は現地に在る自国代表者より接受する情報を引き理事会に提供せんことを求めらる。

此の種情報は过去に於て頗る値あるものなることを证したるを以て诸地点に斯の如き代表者を派遣し得る各国は現在の方法を继し且之を改善する爲出来得る限りのことを爲すべきことに同意せり。

之が爲两当事国にして希望するに於ては此等代表者を派遣すべき地点を两当事国が右各国に指示し得る样右各国は两当事国と接触を保つべし。

第五項—本項は调查委員会の设置を規定す。本委員会は纯然たる咨問性質を有するものなるも其の所定任務は广汎なり。本委員会が调查の要ありと认むる問題は、苟も国際关係に影响を及ぼし、日支間の平和又は平和の基礎たる良好なる了解を攪乱せんとする虞ある事態に关するものなる限り原則として除外せられざるべし。两国政府は何れも其の特に審查を希望する問題に付之が考慮を委員会に请求するの权利を有す。委員会は理事会に報告すべき問題を定むることに付充分なる考慮を有し且望ましき場合に於て中間報告を爲すの权能を有す。

九月三十日の决议に遵ひ两当事国の爲したる约束が委員会の到着の時に实行せられざる場合に於ては委員会は出来得る限り速に理事会に对し其の事態に付報告すべし。

「两当事国が何等かの交涉を開始する場合には右交涉は本委員会所定任務の範围內に属せざるべく又何れかの当事国の軍事的施措に苟も干涉することは本委員会の权限に属せざる」旨特に規定せらる。此の後段の規定は何等委員会の调查权能を制限せず又委員会が其の報告に必要なる情報を得る爲行動の充分なる自由を有すべきこと明白なり。

两当事国の留保及批判

日本代表は决议を受诺するに当り决议第二項に关する留保を爲し「本項は满州各地に於て猖獗を极むる匪賊及不逞分子の活動に对し日本臣民の生命及財産の保护に直接备ふるに必要なるべき行動を日本軍が執ることを妨ぐるの趣旨に非ずとの了解の下に」日本政府に名に於て本項を受诺するものなる旨を述べたり。

支那代表は又决议を受诺せるも原則に关する其の或意見及留保が左の如く议事録に挿入せられんことをもとめたり。

「一、支那は規约の一切の規定、其の加入せる一切の現存条约并に国際法及国際慣例の承认せられたる原則に則き支那の有し又は有し得べき一切の权利、救济方法及法律的地位を完全に留保するを要し且之を留保す。

二、支那は理事会の决议及理事会议長の声明に依り明白ならしめられたる施措を以て必要にして且相关关係を有する左の四個の本質的にして相关关係を有する要素を包含する实際的措置と认む。

(イ)敵对行爲の即時停止

(ロ)日本の满州占领の能ふ限り短期間內に於ける清算

(ハ)今後生じ得べき一切の事件に关する中立国人の观察及報告

(ニ)理事会の任命したる委員会に依る全满州の事態に关する現地の包括的调查。

右施措は条章及精神に於て右の基本的要素に基くものなるか故に其の完全性は右要素の一たりとも予定の如く具体化せられかつ实際に現实化せられる場合には明白に破坏せらるべし。

三、支那は决议中に現定せらるる委員会は其の現地に到着せるとき日本軍队の撤退が完成せられざるときは右の撤退に关し调查し且劝告を載せたる報告を爲すことを其の第一任務と爲すべきものと了解し且希望す。

四、支那は右協定は满州に於ける最近に於ける最近の事件より发生せる支那及支那人に对する損害賠償の問題をも直接に暗黙的にも害することなきものと想定し此の点に关し特别なる留保を爲す。

五、兹に提出せられたる决议を受诺するに当り支那は理事会が此の上战闘を惹起することあるべき一切の主動的行爲及事態を悪化せしむる恐れある他の一切の行動を避くる样日支两国に命令し以て此の上战闘及流血の惨を阻止せらるることの付理事会の努力を謝す决议が终熄せしむることを真に目的としたる事態より生じたる無法律の状態が存在することの口实を以て右の命令を破るべからざることに之を明白に指摘せざるべからず現に满州に在る無法律の状態の多くは日本軍の侵入に依りて生じたる通常生活の中绝に因る所多きことを看过すべからず。通常の平和的生活を恢復する唯一の確实なる方法は日本軍の撤退を迅速ならしめ且支那官憲をして平和及秩序维持の責任を負はしむることに在り。支那は如何なる外国の軍队に依りても其の地域の侵入及占领を许容することを得ず。支那官憲の警察職務を冒すことを右軍队に许すことは一层爲し得ざる所なり。

六、支那は他の列国の代表者を通して爲す中立的意見及報告の現在の方法を继し且改善するの意向を满足を以て了承す。而して支那は斯かる代表者を派遣すること望ましと思考せらるる地方を時々必要に应じ指示すべし。

七、日本軍の铁道附属地內への撤収を規定する本决议を受诺するに当り支那は右铁道附属地內に於ける軍队维持に关し其の常に執り来れる態度を何等放弃するものに非ざること了解せらるべからず。

八、支那は其の领土的又は行政的保全を害する如き政治的の紛议(例へば所谓独立運動を助くるが如き又は之が爲に不逞分子を利用するが如き)を挑发せんとする日本側の一切の试を以て事態の此の上の悪化を避くべしとの约束の明白なる違反と看做すべし。」

调查委員会の任命

委員会委員は次で理事会议長に依り選定せられ两当事国の賛成を得たる上一九三二年一月十四日の理事会に於て左の如く最终的に承认せられたり。

エイチ、イー、アルドロヴァンダィ伯爵(伊国人)

アンリ、クローデル中将(佛国人)

リツトン伯爵(英国人)

フランク、ロツス、マツコイ少将(米国人)

ハー、エー、ハインリツヒ、シュネー博士(獨人)

委員会の構成

欧洲诸国の委員は米国委員の代表者と一月二十一日「ジュネーヴ」に於て二回の会合を催したるが右会合に於て「リツトン」卿は满場一致を以て委員長に選举せらるると共に委員会の事业の仮计画は是认せられたり。

日支两国政府は十二月十日の决议に基き委員会を補助する爲夫々一人の参与員を指名する权限を有したるに付右参与員として「トルコ」駐剳特命全权大使吉田伊三郎及前総理大臣前外交部長顾维鈞を任命せり。

国際聯盟事務総長は聯盟事務局部長「ロバート、ハース」に委員会の事務総長を委嘱せり。

委員会は其の事业中「ジー、エィチ、ブレークスリー」教授(米国「クラーク」大学教授「ドクトル、オヴ、フィロソフィー」、「エル、エィチ、ディー」)、「デネリー」氏、(佛兰西大学教授)、「ベン、ドルフマン」氏(「ビー、エー」及「エム、エー」、米国「カリフォルニア」大学「ウイリアム、ハリスン、ミルス」「フェロー」)、「エー、ディー、エー、デ、カツト、アンジェリノ」博士、「ティー、エー、ハイアム」大佐(「カネーディアン、ナシォナル」铁道会社長補佐員)、威海衛駐在英国领事「ジー、エス、モツス」氏(「シー、ビー、イー」、「エイチ、ビー、エム」)、「シー、ウォルター、ヤング」博士(「エム、エー」、「ドクトル、オヴ、フィロソフー」在「ニュー、ヨーク」世界時事問題協会の极東代表者)の专門的進言に依り補助せらるる所ありたり。

(注)事務総長は委員会書记局員として左记诸氏を配置せり

「ベルト」氏(情報部員)、「フォン、コツツエ」氏(国際事務局に关する事務担任の事務次長補助員)、「バスチュホーフ」氏(政治部員)、「タブリユー、アスター」氏(臨時事務局員にして委員長の秘書役)、「シャーレル」氏(情報部員)

「ビー、ジューヴレー」少佐(佛国軍医「クローデル」将軍の随員)「ビツドル、中尉(「マツコイ」将軍の随員にして又事務局の一般事務にも協力せり)

「ドベイール」氏(在横濱佛国副领事にして日本语通訳者)

青木氏及呉秀峯氏(情報部員にして委員会書记局と協力せり)

委員会の欧洲诸国委員は二月三日「ル、アーヴル」及「ブリマス」を出帆し二月九日「ニュー、ヨーク」に於て米国委員の参加を得たり。

聯盟規约第十条、第十一条及第十五条に基く支那の聯盟出诉

斯る間に於て极東の形勢の发展は支那政府をして一月二十九日聯盟規约第十条、第十一条及第十五条に基き聯盟に对し新なる出诉を爲さしめたり。一九三二年二月十二日支那代表者は理事会に对し聯盟規约第十五条第九項に基き紛争を総会に附託することを要请せり。

然れとも委員会は理事会より何等の新なる指令をも受领せざりしに付十二月十日の理事会よりの命令を解し行けり右の中には左记のものを含む。

一、理事会に付议せられたる日支間の紛争の调查、但し紛争の原因其の发展の状態及调查当時の情况を含む。

二、两国間の根本的利益を调整すべき日支紛争の解决策に对する考慮。委員会の使命に关する此の概念は事业の计画を决定せり。

一九三二年二月二十九日委員会東京到着

紛争の本舞台たる满州に到着せざる以前に两国の利害关係を確むる爲に日支两国政府及各方面の意見を代表する人士と接触を保ちたり。即ち委員会は二月二十九日東京に到着し同地に於て日本参与員の参加を受けたり。尚委員は日本国皇帝陛下より謁見の光荣を賜りたり東京には九日間の置在を爲したる处右期間中は日日閣員(及其の他)との会見を爲したるが右の中には犬養総理大臣、芳澤外務大臣、陸軍大臣荒木中将、海軍大臣大角大将を含みたり。右の外有力銀行家、实业家及種々の团体の代表者等とも会見を遂げたり。吾人は右等人士より满州に於ける日本の权益及日满の歷史的关係に关する情報を受领せり。上海事件に关しても议する所ありたり。東京出发後吾人は京都に於て「满州国」なる国名の下に满州に建国ありたる次第を知りたり。大阪に於ては实业界の代表者との会見の手筈を定めたり。

上海(三月十四日—二十六日)

委員会は三月十四日上海に到着し支那参与員の参加を得たり。同地置在二週間を一般调查の外吾人が曩に東京置在中芳澤外相と议したる最近の战闘に关する事实及休战の可能性に关しても成るべく知らんことを努むるに用ひたり。吾人は荒废地域を访ひ最近の战闘動作に关する日本の陸海軍当局の陳述を聴取せり。吾人は又若干の支那政府閣員及广東をも含む实业、教育界其他の主脑者とも会見せり。

南京(三月二十六日—四月一日)

三月二十六日委員会は南京に赴きたるが其の一部途中杭州に立寄たり。翌週中委員会は国民政府主席に面謁するの荣を得たり。行政院長汪精衛氏、軍事委員長蔣介石将軍、外交部長羅文幹氏、財政部長宋子文氏、交通部長陳銘枢氏、教育部長朱兆華氏/1其他の政府要員とも会見せり。

扬子江沿岸(四月一日—七日)

吾人は更に充分代表的与论及支那各地の現状を知らんか爲途中九江に立寄りたる上四月一日漢口に赴きたり。委員会の代表者は湖北四川省の宜昌、萬县及重慶を視察せり。

北平(四月九日—十九日)

四月五日委員会は北平(北京の現称)に到着したるか同地に於ては張学良及九月十八日夜奉天兵营の指揮官たりし支那将軍より证据の提出ありたり。吾人の北平置在は支那参与員顾维鈞博士の入满困难の爲延引せり。

入满に当りて委員会は二团に分れたり。即ち一行中の或者は山海关を経由して铁道に依り奉天に赴きたるが顾博士を含む他の者は海路大連を経由し日本の铁道附属地內に止まることと爲れり。

顾博士に对する「满州国」の领域入国の反对は委員会が日本の铁道附属地の北方に於ける终点たる長春到着の際终に撤回せられたり。

满州(四月二十日—六月四日)

吾人は满州內に六週間止まりたるが其の間奉天、長春、吉林、哈爾賓、大連、旅順、鞍山撫順及錦州を視察したり。吾人は又齊々哈爾にも赴かんと欲したるも哈爾賓置在中附近に間断なき战闘あり且当時日本の軍当局より東支铁道の西部线の旅行に关し委員会の安全を保障し得ざる旨を告げられたるに鑑み随員の一部のみ航空機に依り齊々哈爾に赴きたり。

彼等は同地より洮昂铁道及四洮铁道に依る旅行に依り奉天に於て委員会の一行に合せり。

满州置在中吾人は予备報告を起草し四月二十九日之を「ジュネーヴ」に送付せり(附属書参照)。

吾人は关東軍司令官本庄中将、其他の陸軍将校及日本の领事官憲と数次の会谈を爲したり長春に於ては「满州国」執政即目下は其の「ヘンリー」溥儀なる名に依り知らるる前皇帝宣统帝を访問せり。吾人は又日本の国籍を有する官吏、顾問を含む「满州国」政府要員及各省長とも会見を重ねたり。各地方住民代表をも接見したりが右は概ね日本人又は「满州国」当局に依り引合はされたり。公の会見の外に吾人は支那人及外国人の多数と会見を遂ぐるを得たり。

北平(六月五日—二十八日)

委員会は六月五日北平に归着したるが同地に於て蒐集したる膨大なる資料の吟味開始せられたり。行政院長汪精衛氏外交部長羅文幹氏、及財政部長宋子文氏とは更に二回の会見を遂げたり。

東京(七月四日—十五日)

六月二十八日委員会は朝鮮経由東京に向へり。委員会の日本への出发は海軍大将齋藤子爵の內閣に於ける外務大臣の任命を見ざりし爲迟延せり。七月四日東京到着後総理大臣海軍大将齋藤子爵、外務大臣內田伯爵及陸軍大臣荒木中将を含む新內閣の首脑と会見したるが之に依り吾人は满州の情况の发展并に日支关係に关する政府の現在の見解及政策を知りたり。

北平(七月二十日)

斯の如くにして日支两国政府と重ねて接触を遂げたるに付委員会は北平に归着し報告書の起草に着手せり。

参与員

委員会の事业に对して终始多大の盡力を惜まざりし两参与員は数多の貴重なる证据書类を提出せり。一参与員より受领せる材料は之を他の参与員に提示し以て之に对する批判を爲すの機会を与へたり。是等の書类は发表せらるべし。

附属書に表示せられたる如く会見せる人物及团体の数の多きことは以て吾人の審查したる证据の如何に多数に上りたるかを知るに足るべし。更に吾人の旅行中吾人は多量の印刷物请願、要请及書翰を受领せり。单に满州に於てのみにても英文、佛文及日本文のものを除き约千五百五十通の漢文の書翰及四百通の露文書翰を受领せり。是等の書类の整理、翻訳及研究は多大の劳力を必見としたるが一地より他地への間断なき移動にも拘らず之を遂行し七月北平に归着後日本への最终访問に出发前完成することを得たり。

十二月十日の决议に基く使命の概念は委員会の報告書の構想を定めたり

委員会の事业の计画及旅程を决定したる委員会の使命に关する概念は又同样に報告書の構想を指導せり。

吾人は先づ第一に紛争の根本的原因を成す满州に於ける两国の权益を记述して歷史的背景を明ならしめんと试みたり。

次で現在の事变勃发直前に於ける個々の案件を審议し更に一九三一年九月十八日以来の事件を记述せり。终始問題の考察に当りては吾人は过去の行爲に对する責任よりも寧ろ将来に於て之を缲返すことを避くる方法を发見せることの必要を強调せんとするものなり。最後に報告書は委員会の直面したる種々の問題に关し理事会に附议せんことを欲する若干の省察及考察并に紛争の永的解决を计り且日支两国間の良好なる了解の再建を成就する爲吾人の可能なりと认むる方針に基く若干の提言を以て结ばれ居れり。


(1) 编者按:原文如此,应是朱家骅氏。