第5章 词义的“守恒”与“越界”
一、分析对比下列译文。
1「あたし、お兄ちゃんなんかいなくなればいい。そうすれば、いつだって、お菓子をひとりでぜんぶ食べられるもの」妹なり、弟なりのこうした不満を耳にしたことのあるお母さんは多いのではないでしょうか。さっきまで仲よく遊んでいたかと思うと、もう喧嘩が始まった……そんな関係がきょうだいです。ふたりっきりのきょうだいは、お互いよい遊び仲間であると同時に、競争相手でもあります。
【译文1】不少母亲都会听到老二对老大表示不满的话吧:“我最不愿意哥哥在家啦,他不在家的话,这些糖果就都是我1个人的。”刚才还玩得好好的,突然间就打了起来,……是这种关系的肯定是弟兄俩。只有两个孩子的家庭,两个人既是玩耍的伙伴又是竞争的对手。
【译文2】“要是没有哥哥就好了。那样的话不管什么时候都可以我一个人吃完所有的点心。”很多母亲对家里老二这样的抱怨并不陌生吧。前一分钟还亲密地玩在一处,后一分钟就吵翻天……这就是兄弟。家里只有两个孩子的话,两人既是好伙伴也是好对手。
【答案】相比较而言,译文2更准确。译文1中有几处值得再斟酌。
①「お兄ちゃんなんかいなくなればいい」应当是“没有哥哥就好了”。
②「喧嘩」,其有“吵架、吵嘴”的意思,此处结合语境考虑,译作“两个小孩子吵嘴”可能更好些。
③「そんな関係が兄弟です」,照字面意思翻译的话,是“这样的关系就是兄弟”,即“兄弟就是这样一种关系”,译文1译成“是这种关系的肯定是弟兄俩”表达上就有些过了。
此外,译文2使人感觉到译者在感性把握的基础上进行了更深入的理性把握,译文也更简洁、更紧凑。
2昭和二十年の秋の米の収量は公称実に三千九百万石に過ぎなかった。平年作の六割強という惨状であった。その年の冷涼、肥料難、労力不足とあらゆる悪条件が重なっていたし、敗戦とともに在来からの一切の国の秩序は崩れてしまって、米の収量等到底今までのように捕らえられるわけがなかった。こんな状態の中で、吉田さんは第一次吉田内閣の組閣をせざるかが最大の問題であった。
【译文1】1945年秋季的大米产量,据公布只有3900万石,仅为平年收成的60%强,为状极惨。这一年,气候寒冷、肥料缺乏、劳动力不足等一切不利条件纷至沓来,再加上战败后原有的一切国家秩序陷于崩溃,政府便无法像过去那样掌握大米的产量了。征购大米的强制力也削弱了。在这种情况下,最重要的问题就是怎样生活下去。吉田先生竟不得不在这样困难的情况下组织第一次内阁。
【译文2】据官方公布,昭和20年(1945)秋季的大米产量不过3900万石,仅为普通年成的6成多,收成极为惨淡。那一年,气候寒冷、肥料缺乏、劳动力不足等一切不利条件堆积成山,困难重重。伴随着战败,原有的国家秩序陷于崩溃,政府无法再像往年一样强制征购大米。当时民众关注的焦点是,在经济几近崩溃的状态下,吉田茂是否将被迫组建第一届吉田内阁。
【答案】译文2相较而言更严谨些。例如「平年」「昭和二十年」的译法等。但是两个译文后半部分都有些地方与原文对不上,可能是原文遗漏了某句。比如译文1的“征购大米的強制力也削弱了”、“在这种情况下,最重要的问题就是怎样生活下去”;译文2的“政府无法再像往年一样强制征购大米”。
3秋空が晴れすぎたためか、日に近い海は春のように霞んでいた。ここから下田まで五里歩くのだった。暫くの間海が見え隠れしていた。千代子はのんびりと歌を歌いだした。
【译文1】也许是由于秋季的天空过于晴朗,临近太阳的海面像春天一样笼罩着一层薄雾。从这里到下田要走20公里路。有段时间大海时隐时现。千代子悠闲地唱起歌来。
【译文2】秋空分外清澈,海天相连之处,烟霞散彩,恍如一派春色。从这里到下田,得走20多公里。有段路程,大海忽隐忽现。千代子悠然唱起歌来。
【答案】译文2除更具文学性外,也更为严谨,特別是「暫くの間海が見え隠れしていた」这句话,其表面上意思如译文1所译:“有段时间大海时隐时现”,但若作进一步的理性把握,便知这其实是在描述千代子一路走去,视线有时为沿途山峰或其他事物阻挡,看不到大海;而并不是说站在海边某处看去,大海时而出现时而消失。所以译文2的表达更准确些。
4そのために、戦後の日本では、まず国内市場で商品が大量に売れ、それによってコストが下がったあとで、その商品が外国に輸出されるということになったのである。戦争前の日本は、その代表的な輸出品である絹や綿がそうであったように、貧しい農家の娘にわずかの賃金を与えて働かせ、コストを下げて輸出のための競争に勝とうとしたものであ るが、戦後はまったく事情が変わってしまった。
【译文1】因此,在战后的日本,商品首先通过在国内市场的热销,降低成本以后,得以出口外销。而在战前的日本,降低商品成本,在出口竞争中取胜,则是通过压榨农家少女的廉价劳动。当时具有代表性的出口商品——丝和棉都是那样进行的。这到战后完全改变了。
【译文2】因此,在战后的日本,首先通过商品在国内市场的大量销售,降低成本,实现其出口。而战前,以丝织品、棉织品为代表,则是以廉价雇佣乡下姑娘来降低成本,提高出口竞争力。这一状况在战后已经不复存在。
【答案】译文2在表达上更准确,但「その代表的な輸出品である絹や綿がそうであったように」这句,漏译了「その代表的な輸出品である」,此句意为“如同日本当时的代表性出口产品丝和棉(的生产模式)那样”。
5そのうちに、なんでもかんでも二十二年から六•三制を実行せよという考えで、占領軍司令部が押してくるようになった。まじめな田中文相たちは、板ばさみになった。まじめに敗戦後の日本の状態を考えれば、趣旨はいいが、国民経済が復興していく状態とも照らし合わせて、順々に小学校、中学校、高校、大学と、新制度に切り換えていくのが賢明だという、田中文相たちの考えは当然である。これが文相たちの立場である。
【译文1】不久,盟军总部竞指示必须在1947年开始实行六三制。为人诚实的田中文相等遂陷入进退维谷的境地。他们认为,如果认真考虑战后日本的情况,六三制虽好,但最明智的办法却是参酌国民经济逐渐变化的情况,依次将小学、中学、高等学校和大学改为新制度。田中文相等的这种态度是理所当然的。这就是文相等的立场。
【译文2】不久,占领军司令部向日本政府施压,要求日本自昭和22(1947〉年开始全面实行“六三制”。这使得一向谨慎的田中文部大臣等左右为难。田中等人认为“六三制”出发点虽好,但更为明智的做法是跟着日本经济复兴的步伐,依次从小学、初中、高中、大学逐步实现义务教育。只要关注一下战后日本的社会状况,就完全能理解他们的想法。注:六三制:小学6年、初中3年义务教育制度的通称。
【答案】译文2对「六•三制」「占領軍司令部」「まじめな田中文相」「新制度」等词的处理更好。并且对「六•三制」进行加注,以明确这是怎样的一种制度,也使最后部分的「新制度」明确化了。「占領軍」并非盟军本身,而是它指挥下的一个机构——同盟国占领军,其司令部也可称“驻日盟军总部”。
6冷蔵庫の牛乳でうがいをしながら、ふと外を見ると、まだ青にまでは至っていない夜明けの空を、男がひとり飛んでいたのである。当然のことだが、ぼくは信じなかった。驚きもしなかった。
【译文1】用冰镇牛奶漱着口,无意中往外一瞧,发现还没完全变蓝的透明天空中有个男子在飞翔。虽是真的,但我不信,所以也没感到吃惊。
【译文2】用冰箱里的牛奶漱着口,无意中往外一瞧,发现有个男子在深蓝色的天空中飞翔。当然,我并不信,所以也没感到吃惊。
【译文3】从冰箱拿出牛奶漱口时,无意中看见有个男子在窗外飞翔,虽然黑夜仅仅褪去些许墨色,天空甚至还没有変成藏青色。当然,我并不相信,所以并不感到吃惊。
【答案】这三个译文中译文2较好,译文1和3都有错误。
译文1的问题主要有三处。①“冰镇牛奶”。虽然这种意译比译文2的直译要简洁,但是容易产生歧义。②“还没完全变蓝的透明天空”。「夜明けの空」并非“透明天空”,而「青までは至っていない」则表示天空尚未完全褪去夜色,还有些暗沉,未变成明亮的「青」。③“虽是真的,但我不信”。这句话一方面说它是真的,另一方面又说不信,显然是矛盾的。事实上,文中所述情况(人在天上飞)的确让人我发相信自己的眼睛,更谈不上「当然のこと」。「当然のことだが、ぼくは信じなかった」其实是个倒装句,补充完整后是「僕が信じなかったのは当然のことだ」,而非「これは当然のことだが、僕は信じなかった」。
译文3的问题主要也是三处。①“从冰箱拿出牛奶漱口时”表达不明确,可能会使读者误认为接下来的情况是在主人公从冰箱拿出牛奶的那一刻发生的,二原文是指在漱口的过程中。②「ふと外を見ると、まだ青にまでは至っていない夜明けの空を、男がひとり飛んでいたのである」这句话的翻译,译文3使用了合译和分译的手法,将句子重新排列组合,目的可能是为使表达更简洁清晰,但实际意思表达上不够准确。“无意中看见有个男子在窗外飞翔”将原文中的「ふと外を見ると、…男がひとり飛んでいたのである」两句作一句,抹去了原文所具有的那种停顿感、间隔感,给人一种那男子就在窗口附近的感觉。③对天空顔色的描述也与原文有些出入,似乎天还很黑,刚有些微明。如前所述,「青」并非“藏青色”。
二、翻译下列短文。
1携帯メールでは、よく会う間柄で、ちょっとした感情が常にやりとりされていることから、「フルタイム化」した人間関係の形成が考えられる。会っては話し、分かれても携帯メールで常におしゃべりする「ベたベた」とした関係である。
【答案】经常见面的人,即使是小事也经常通过短信交流。这种关系可以理解为“全天候”的人际关系。也就是一种见面了交谈、分开了还常用短信聊天的“黏糊糊”的关系。
2前にも述べたように、ストレスに対する抵抗力は人さまざまである。ぶっ倒れても不思議ではないようなストレスにも平気な人もいれば、わずかこれぐらいのこと、と思えるストレスでダウンしてしまう人もいる。いわゆる神経質な人がストレスに弱いのは、自己防衛の気持ちが強すぎ、かえって過敏に反応してしまうからである。
【答案】如前所述,抗压能力因人而异。有人面对天大的压力也浑然不觉,处之泰然。而有人却连很小的压力都难以承受。神经质类型的人之所以禁不住压力,那是因为他们过强的自我保护意识反而会使他们对周围的事物反应过激,以致增强压力感。
3世の中全体がゆとりを求める方向にあり、それはそれで当然であり、結構なことなのだが、この流れに適応できないビジネスマンの少なくないことが問題なのである。「休め」といわれても、うまく休めない人たち、それが中間管理職層に多い。有給休暇を例にとると、若手社員は持っている休暇の全部を使ってスキーだの海外旅行だのと、さっさと出かけてしまう。ところが、中間管理職の人たちはまず自分から休暇を取ろうとはしない。最も疲れているのも彼らだから、ほんとうは休みたいのだが、休まないことが管理職の一員としてあるべき姿と思い込んでいる。
【译文】整个社会开始趋向于追求宽松舒适的生活,这自然很好,也是理所当然之事。但问题是不少职员难以适应这一潮流,就算你让他们休息,他们也停不下来。这在中层管理人员中尤为多见。就拿带薪休假来说,年轻职员会最大限度地利用假期,立刻去滑雪或出国旅游。但那些中层管理人员,压根儿就没想拿假。他们是公司里最劳累的一群人,何尝不想好好休息呢?只是他们固执地认为身为管理人员不能休假。
三、改正下列误译。
1更に、先に述べた制度と流行を比べてみても、明らかに我々の行動にとって流行のほうが抵抗しにくい。制度は、それに支配されながら醒めていることが比較的容易だが、流行ははるかに卜ータルなかたちで人間の理性と感情をとらえてしまう。したがって、それに対する反逆のほうも、しばらく見られるように、感情的で全面的なものになるほかはないのである。
【译文】即使把上文提到的制度和流行相比较,很明显,对我们的行动而言,流行更加难以抵抗。制度在受其支配的同时,从中醒悟也是比较容易的,但流行却更全面地将人类的理性和情感束縛。因此,对其的反抗就像好久未能看到那样,也必将成为感情化的全面性的存在。
【答案】再者,即使将流行与上文所提到的制度相比较,我们也会发现,对我们的行动而言,流行显然更加难以抗拒。对于制度,我们在受其支配的同时保持清醒也相对容易;而流行则会更加全方位地将人类的理性和情感束缚。因而,对它的反抗,如同我们会在一段时间内看到的那样,也必将是感情化而全方位的。
2下人は、大きな嚏をして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、もうどこかへ行ってしまった。
【译文】男人打了个大喷嚏,之后,大义凛然地站了起来。入夜转凉的京都,冷到令人想要一个火炉。风,从城门的柱与柱之间,伴随着暮色毫不犹疑地穿过。停在红漆门柱上的那只蟋蟀,不知跑哪里去了。
【答案】家丁打了个大喷嚏,然后无精打采地站了起来。人夜转凉的京都,冷到使人想要一个火盆。风与暮色一道从城门的柱子之间无情地穿过,肌在朱漆柱子上的那只蟋蟀也早已不知去向了。
3こうして考えてみると、ロボットがつらい仕事を引き受けてくれると喜んでいるうちに、人間の仕事が減って職を失うことになる。労働者たちがうかうかしていられない事態が起こることは十分に考えられる。
【译文】这样看来,在我们因机器人为人类承担重任而感庆幸的同时,又面临着人类因就业机会减少而出现的失业问题。这一对于工人们来讲不可掉以轻心的事态的发展,应引起人们充分的注意。
【答案】这样看来,在我们因机器人为人类承担重任而感庆幸的同时,又面临着人类因就业机会减少而出现的失业问题。这一对工人们来说不可掉以轻心的事态是完全有可能出现的。
4そうした失敗を重ねているうちに、着付けのコツを覚えているつもりではあるのだが、なんと言っても練習が不足しているから、いっこうにうまくならない。先日のお茶会のお手伝いのときなどは、
「まとってきたら、着せてあげるわ」
と言われる始末。冬の季節は、着物の上に道行きと呼ばれるコートを着るので、中はどうとでもごまかせる。つまり、それほど下手なのである。情けないが、でも「まとう」というのがよくて、吹き出してしまった。
……
それでも、帯は格上というきまりがあるから、染め帯の格が高ければ、それはそれでお洒落な着こなしになったのだが、色だけ合わせて持っていったのだからお話にならない。おまけに帯板を忘れていって、お菓子の箱をこわして代用した。
それ以来、きものより帯、帯に派手なし、帯はとにかくいいものをと、ばかのひとつ覚えのようにしていたのだが、お茶席には、どんなによい帯よりも大切なものがある。
【译文】原本打算通过诸如此类的失败使自己逐渐掌握穿和服的要領,但不管怎么样,由于自己练习不够,总是不尽如人意。上次茶会上帮忙时,又有人说:“裹着来的话,我来帮你穿。”冬天里,要在和服外面套一件和服外套,至于里面怎么穿也能搪塞过去,也就是说,我穿和服就是这种水平。虽然觉得很没面子,可是,她说我“裹着”可真是绝妙,我不禁扑哧笑了起来。
……
此外,还有和服腰带的“规格”的讲究,印染的和服腰带规格一高,就越能穿着得体漂亮。可我只知道将颜色搭配好就带去了,简直不成体统了。而且还忘记了和服带板,只好把点心盒子拆开用来代替。
从那以后,我死记住一条:和服带子重于和服,和服带子不可奢华,和服带子总之要好的。然而,在茶会上,却还有比和服带子更为珍贵的东西。
【答案】在多次重复诸如此类的错误后,我自以为已掌握了穿和服的要领,但毕竟练习得不够,所以全无进步。以至于前几天去茶会帮忙时,竟然有人对我说:“你裹着来就行,我来帮你穿。”冬天里,和服外面还要罩一件和服外套,所以里面怎么穿也能搪塞过去,也就是说,我穿和服的水平就是差到这种程度。虽然觉得很没面子,但“裹着”这个说法可真是绝妙,我不禁扑哧笑了出来。
……
但尽管如此,和服腰带也很有讲究,以染织(先染后织)的腰带为高級。但即使是织染(先织后染)的腰带,只要规格高,也能穿得优雅得体,可我只知道将颜色搭配好就带去了,所以完全不成体统。而且还忘了带和服带板,只好把点心盒子拆开来代替。
从那以后,我死记住一条:和服腰带重于和服,腰带不怕奢华,腰带总之要好的。然而,在茶会上,还有比腰带更重要的东西。
(注)着物や帯の製法には後染めと先染めがある。後染めは、白い糸を生地に織り上げてから染めていく。先染めは、白い糸を先に染めてから織り上げていく。一般的な言い方としては、後染めを染めの着物·先染めを織の着物と言う。着物は【染めの着物】が格上とされ、帯は逆に【織りの帯】が格上となります。
5ロンドンデリーの街を歩いていたからと言ってロンドンデリーの歌がそう簡単に聞ける訳が無い位の事は、新潟を歩いていたからと言って新潟甚句を聞くことがそう簡単では無かろうというのと同じ意味で判ってはいる心算なのだが、それにしても、この街では、旅行案内所や、観光協会や、学校で訊ねてみても、誰もが歌などに興味を示さないのだった。仕方無しにあの美しい旋律を口ずさんで聞かせた友人に反応を示したアイルランドの青年は何人かいたけれども、その青年達は、Danny Boyの名でポピュラー·ミュージックにアレンジされた姿のその歌のなれの果てを知っていただけで、自分達の国の古くからの民謡としてその歌を知っていた訳では無い。
【译文】尽管我再清楚不过,即便在这伦敦德里街头走上这么一遭,也还是不那么容易听得到伦敦德里的歌儿的。正如在新泻走上一遭,不会那么容易听到新泻民谣一般无二。但是,尽管如此,在这座城市,去那旅行问讯处、观光协会、学校等处打听,对于歌曲之类,没一个人感兴趣的。万般无奈之余,只得将那美妙的旋律诉诸于口,哼起来让他们听,虽然听的朋友之中有几位反应过来的爱尔兰青年,但他们只知道流行音乐中经过改编而以Danny Boy歌名出现的这首歌的悲惨结局而已,而作为一首属于他们自己祖国的古老名歌,他们却对之一无所知。
【答案】朋友已有心理准备,知道即便在伦敦德里街头走上那么一遭,也不会那么容易听到伦敦德里的民歌;正如在新泻走上一遭,不会那么容易听到新泻民谣那样。但尽管如此,还是没想到,在这座城市,问遍了旅行问讯处、观光协会及学校等处,竟没有一个人对民歌感兴趣的。朋友无奈之余,只得将那美妙的旋律哼唱出来给人们听,虽有几位爱尔兰青年表示曾听过这首曲子,但他们所知道的并非自己祖国的古老民歌,而只是一首由此改编成的名为Danny Boy的流行歌曲,与原本的民歌已是面目全非了。
6江戸•東京の言葉は、いま標準語と思われている「東京語」ではない。江戸•東京の言葉は、町人たちが普段喋った言葉ではない。東京の言葉は、江戸言葉の曰用語をもとに時代をへて、いまの言葉になってきた。が、江戸時代もいまの東京とおなじように、各地から人が移住してきているから、流動をくりかえしてきたと言える。
【译文】江户·东京话并不是今天作为标准话的东京话,也不是从前的城市平民所说的话语。今天的东京话是以江户日常用语为基础,逐渐演变而成的。从过去的江户到今天的东京,此地一直有大量的外来人口聚居,流动频繁。
【答案】江户·东京话并不是今天作为标准话的东京话,也不是从前的城市平民所说的话语。今天的东京话是以江户日常用语为基础,逐渐演变而成的。但江户时代也和今天的东京一样,一直有大量外来人口移居至此,所以语言也在不断流变。